事業税は冥加金
明治大正を経て昭和の太平洋戦争敗戦、国の一時代
が去った。民主化の諸法令が公布改正は戦後、占領
されずに、粛々と進んだ。「税」は戦前のように軍備
拡充に使われることなく慈しみ使われた。国税庁の
資料等より「営業税」を調べてみた。すると、明治
27(1894)年から翌28年まで行われた日清戦争など
で各産業者の公共受注契約額に高率税を課して、主
に軍事費にあてた、という。現在、寺社仏閣に奉納
する「冥加金」(みょうがきん)に似ている。また、
「市」を奨励し街づくりを行った信長、秀吉、家康
は、商人が城下で、営業をするのに許認可を与えた。
そのかわり後「営業税」「登録免許税」といわれる
税納付を求めた、という。「営業税」は明治政府が、
地方税(ときおり国税)で真似た。現「事業税」の元
だろう。「営業税」は、明治元(1868)年8月、政府は、
幕府や藩の慣習により、地方税として、各地の財源
となった。やっと政府統治が定まった明治11(1878)
年に地方税として認められた。現在の「均等割」に
似た「戸数割」が別途あるのが面白い。「登録免許税」
は「許認可行政」の原点だ。ゆえに改めて述べる。
が去った。民主化の諸法令が公布改正は戦後、占領
されずに、粛々と進んだ。「税」は戦前のように軍備
拡充に使われることなく慈しみ使われた。国税庁の
資料等より「営業税」を調べてみた。すると、明治
27(1894)年から翌28年まで行われた日清戦争など
で各産業者の公共受注契約額に高率税を課して、主
に軍事費にあてた、という。現在、寺社仏閣に奉納
する「冥加金」(みょうがきん)に似ている。また、
「市」を奨励し街づくりを行った信長、秀吉、家康
は、商人が城下で、営業をするのに許認可を与えた。
そのかわり後「営業税」「登録免許税」といわれる
税納付を求めた、という。「営業税」は明治政府が、
地方税(ときおり国税)で真似た。現「事業税」の元
だろう。「営業税」は、明治元(1868)年8月、政府は、
幕府や藩の慣習により、地方税として、各地の財源
となった。やっと政府統治が定まった明治11(1878)
年に地方税として認められた。現在の「均等割」に
似た「戸数割」が別途あるのが面白い。「登録免許税」
は「許認可行政」の原点だ。ゆえに改めて述べる。