風雪"官尊民卑゙との戦い
土木建築業組合は全国各地に存立していた。大正8
(1919)年秋のことである。この組合対象に全国組織
ができた。名称は「日本土木建築請負業者連合会」
である。創立委員は松村雄吉、鹿島精一、清水釘吉、
戸田利兵衛、鴻池忠三郎、大林義雄、安藤徳之助ら
23名で200名超全国建設業者が創立総会に集った。
当時わが国領、韓国京城、中国大連から業者が参加
した時代風景だ。この全国団体結成動機は①被選挙
権の制限②営業税の改正③保証金制度の改正である。
詳細は後述する。簡単にいえば、当時の建設業界は
社会的地位が低かったわけである。公共請負工事も
片務的で「官尊民卑」と建設業団体史では述べる。
当時、珍しい東京帝大出の学士、菅原恒覧を会長に、
副会長に大林義雄、清水釘吉を選任した。この母体
となったのは東京と大阪の土木建築業組合である。
建設業団体史では「土木建築業組合は文字通り土木
と建築を含んでいるだけでなく業容の大小にも関係
なく門戸が開かれていることである。土工協といい
建築業協会といい(中略)エリート集団であるという
点が特性(後略)」とある。基点であろう。今また!
(1919)年秋のことである。この組合対象に全国組織
ができた。名称は「日本土木建築請負業者連合会」
である。創立委員は松村雄吉、鹿島精一、清水釘吉、
戸田利兵衛、鴻池忠三郎、大林義雄、安藤徳之助ら
23名で200名超全国建設業者が創立総会に集った。
当時わが国領、韓国京城、中国大連から業者が参加
した時代風景だ。この全国団体結成動機は①被選挙
権の制限②営業税の改正③保証金制度の改正である。
詳細は後述する。簡単にいえば、当時の建設業界は
社会的地位が低かったわけである。公共請負工事も
片務的で「官尊民卑」と建設業団体史では述べる。
当時、珍しい東京帝大出の学士、菅原恒覧を会長に、
副会長に大林義雄、清水釘吉を選任した。この母体
となったのは東京と大阪の土木建築業組合である。
建設業団体史では「土木建築業組合は文字通り土木
と建築を含んでいるだけでなく業容の大小にも関係
なく門戸が開かれていることである。土工協といい
建築業協会といい(中略)エリート集団であるという
点が特性(後略)」とある。基点であろう。今また!