夜明け前の建設業
現在スーパーゼネコンのうち江戸時代より江戸にて
創業の1社をあげたい。清水建設㈱である。当方の
事務所は内神田(旧鎌倉町)岩本町、現在の飯田橋と
千代田区内を移転した。清水建設㈱創業地は区内、
神田の鍛冶町である。現在も町名変わらない。ゆえ
に焦点をあてた。「清水建設百八十年」(非売品/昭和
59年6月)を参考にした。創業者「清水喜助」は、
神田生まれではない。天明3(1783)年、越中国
婦負(ネイ)郡小羽(コバ)村(現富山県上新川郡大沢野
町小羽)農家の生まれである。この年は後日、天明の
大飢饉というように冷害干ばつがあった。浅間山が
大噴火をした。享和3(1803)年頃20歳だった
喜助は生来、彫刻好きで器用だったので大工職人を
目指し江戸に上った。途中、日光東照宮修営工事を
請け負う宇都宮在棟梁に弟子入りをする。幕府から
普請である公共工事である。その棟梁の娘を娶り、
翌年、江戸入りをする。長屋住まいの神田鍛冶町で
は大工職人の仕事の他に夜は家具資材造りをした。
苦労が実り天保9(1838)年35歳、江戸城西の丸
修営工事に入札参加し請負った。初の公共工事だ。
創業の1社をあげたい。清水建設㈱である。当方の
事務所は内神田(旧鎌倉町)岩本町、現在の飯田橋と
千代田区内を移転した。清水建設㈱創業地は区内、
神田の鍛冶町である。現在も町名変わらない。ゆえ
に焦点をあてた。「清水建設百八十年」(非売品/昭和
59年6月)を参考にした。創業者「清水喜助」は、
神田生まれではない。天明3(1783)年、越中国
婦負(ネイ)郡小羽(コバ)村(現富山県上新川郡大沢野
町小羽)農家の生まれである。この年は後日、天明の
大飢饉というように冷害干ばつがあった。浅間山が
大噴火をした。享和3(1803)年頃20歳だった
喜助は生来、彫刻好きで器用だったので大工職人を
目指し江戸に上った。途中、日光東照宮修営工事を
請け負う宇都宮在棟梁に弟子入りをする。幕府から
普請である公共工事である。その棟梁の娘を娶り、
翌年、江戸入りをする。長屋住まいの神田鍛冶町で
は大工職人の仕事の他に夜は家具資材造りをした。
苦労が実り天保9(1838)年35歳、江戸城西の丸
修営工事に入札参加し請負った。初の公共工事だ。